日本人の祖父母から学んだ南米人が話す、古い日本語。

クスッ、ほっこり、外国人あるある話

日本人の祖父母から学んだ南米人が話す、古い日本語。

古めかしい日本語を話す外国人の彼女

30代、語学学校勤務の男性です。大学時代に留学生として南米からやってきた彼女とのエピソードがあります。当時の彼女は、二十歳そこそこだったと思います。同じ講義をとっていたため、話をするようになりました。

彼女の出身国は、残念ながらうろ覚えなのですが、ブラジル以外の国でした。彼女が他の留学生と少し異なっていたのは、彼女の祖父母がかつて海を渡って移住した日系移民だったことです。

日本語は、その祖父母と話して覚えたと言っていました。そのためか、外見にそぐわず、流暢な日本語を話していました。ただし、50年以上も昔に日本を離れた祖父母との会話だったためか、言葉の端々に時代を感じさせる発言がありました。

発言例1:スーパーの野菜について話していたとき

この前、「ちしゃ」買ったんだけど、日本の「ちしゃ」小さいね。

え?「ちしゃ」って何?と彼女に質問したところ、レタスのことだと判明しました。
彼女は「ちしゃ」は日本語だと強く主張しました。彼女の祖母が頻繁に使っていた言葉なのだそうです。私が半信半疑になっているので彼女は余計に興奮し、「広辞苑にだって載ってるよ!」とまで言うので確認したところ、本当にありました。ちなみに、漢字では「萵苣」と表記するようです。

今の日本では「レタス」としか言わないと思うと指摘すると、彼女は「またか!」とがっくりしていました。なんでも、日本に留学して以来、自分の知っている日本語が通じないことが多発していて、落胆しているのだとか。彼女の知っている日本語は、今の私たちにとってはちょっと古すぎたようです。

他のエピソードを聞いてみると、こんなこともあったようです。

発言例2:某家電量販店にて

すみません、「写真機」探しているんですけど。

・・・うん、字面を見れば、なんとなく意味が分かりますね。でも現代ではなかなか「写真機」という言葉は使いません。それを彼女に言うと、「『カメラ』でもいいけど、『写真機』って言ったって良くない?意味分かりやすいじゃん!写真とる機械じゃん!?」と、叫んでいました。「写真機」という言葉を耳にしたときの店員さんがドン引きする姿が忘れられなかったそうです。

日本について偏った知識を持つ彼女

そんな彼女は、祖父母との経験を通して、日本に対してのものすごい憧れと偏った知識を有していました。

ある日、とある和菓子屋さんで「お饅頭の下に小判を詰めた箱」を再現したような菓子折りを見つけると、興奮気味に「教授のところにこのお菓子を持って行って、『お代官様、山吹色のお菓子でございます』って言ったら『エチゴヤ、お主も悪よの~』って返してくれるかな?」と語りだしました。

一体どこからそのネタを仕入れたのかと聞くと、「おばあちゃんがビデオで、ミトコーモンとか、アバレンボーショーグンとか、オーオカエチゼンとか見ていた」と答えてくれました。「キンチャッキリ(巾着切り※スリのこと)とか、ハッチョーボリ(八丁堀※刑事さん的な人)とか、オシラス(お白州※裁判所的な場所)とか分かるよ?」と得意げに言うのです。それを理解するだけの語彙力があるのに、レジュメとか、ステープラーとか、パワポなどの外来語が分からなかったことにびっくりしました。

余談ですが、彼女の「教授に山吹色のお菓子を差し入れる計画」は、論文提出の時期が近いこともあったので、全力で阻止しました。教授は冗談だと分かってくれるだろうけれど、この時期、賄賂を匂わせるのは行動はヤバイと説得したところ、泣く泣く諦めていました。今思えば、悪いことをしたのかも・・・とも思います。あの教授だったら、ノリノリで「エチゴヤ、お主も悪よの~」と返していた気がします。

そんな彼女が挙げていた、日本の素敵ポイントは「自動ドア」。自国に一時帰国した際に、自動的に開かないタクシーのドアと、自分で開けなければいけないショップのドアの多さに改めて辟易したとのことでした。「日本のノリでお店入ろうとして、何度もドアに正面衝突しちゃったよー。タクシーを拾ってドアが開くのを待ってたら、そのまま置いていかれそうになるし。」だそうです。

日本滞在中に、自分の日本語が一昔前のものであることに気がついた彼女。
「ジェネレーションギャップが隔世遺伝するなんて、思いもよらなかったよ」と語っていました。私が語学学校職員という現在の職についたのも、彼女との出会いがあったからかもしれません。